2015年11月9日月曜日

【粳米】南海102号~ヒノヒカリ~【特徴・育成経過・系譜図・各種情報】

地方系統名
 『南海102号』(『水稲農林299号』)
品種名
 『ヒノヒカリ』
育成年
 『平成元年(西暦1989年) 宮崎県総合農業試験場/作物部育種科』
交配組合せ
 『黄金晴×コシヒカリ』
主要産地
 『熊本県他、西日本』
分類
 『粳米』
「ヒノヒカリ、だよん♪」



西日本で広く親しまれ、平成全国シェア(作付面積)第3位の米っ娘。
そんな『ヒノヒカリ』の擬人化です。


どんな娘?

コシヒカリ御三家の一角にして、西日本の代表格。

発言にはやや軽率なところも多く、病弱で、環境の変化にも弱い。
ただ底抜けの明るい性格で人当たりも良く、周囲から好かれている。

寒さにも弱いが暑さにも弱いため、冷害が減ってほっとしたのもつかの間、最近の猛暑にはかなり参っている様子。

かつての日本一品種日本晴の一番弟子(?)



概要

かつて稲作が九州から日本中へ伝播したように、『ヒノヒカリ』が良食味品種として九州・西日本に広く栽培され、美味い米産地へと変わり、光り輝く飯米が陽の光のように日本を照らすことを願って、命名されました。
『ヒノヒカリ』は「太陽の光」の意(そのまんまとか言わないで)。

西日本一帯に広く作付される彼女。
とは言え収量では少し『あきたこまち』に劣る様子(米が小粒なせいかな?)。
コシヒカリの直系御三家の一角、『ひとめぼれ』、『あきたこまち』と肩を並べ、全国トップ4を誇っています。
東北に住む私にはなじみが薄いのですが、西日本の皆さんにはなじみ深い品種だとか?

近年の地球温暖化の影響を受け、高温耐性が弱い彼女に代わる品種の研究、台頭が進んでいますが、それでもやはり西日本の米品種にとっては大きな壁ともなり得る先輩米…なのでしょう。


だがしかし
作者の勝手な想像力のみで作られる米っ娘。
収量が低いことからどうも真面目と言うより、少しお転婆な彼女が生まれました。

育成試験時のアミロース含量は19.6%
葉いもち抵抗性、穂いもち抵抗性ともに「やや弱」。
真性抵抗性遺伝子は【Pi-a】【Pi-i】と推定。
耐倒伏性も『コシヒカリ』より少し改善し「やや弱」ながら、なびくように倒伏する(茎が折れない)ので実害は少ない模様。
穂発芽性も「難」とあって、収量は何とか確保できるようです。
しかしながら、耐冷性「やや弱」に加えて高温登熟耐性も「弱」となっており、気候の変動にはかなり弱いようです。



育種経過

昭和54年(1979年)、宮崎県総合農業試験場において普通期水稲に『コシヒカリ』の良食味を導入する事を目標に育種が開始されました。

『黄金晴(愛知40号)』を母本、『コシヒカリ』を父本として人工交配を行います。

◇『黄金晴』
 愛知県農業総合試験場で育成された『日本晴』の子品種で、昭和55年(1980年)に命名されました。
 暖地では早生に分類され、良質・強稈・多収品種であり、昭和60年(1985年)には『日本晴』に代わって九州地域内作付け第1位となり、平成元年(1989年)『コシヒカリ』にその座を譲るまでそれは続きました。

◇『コシヒカリ』
 言わずと知れた極良食味品種。暖地では極早生品種に属し、早期栽培に用いられますが、平成元年(1989年)に九州で作付け第一位となります。

早生と極早生の組み合わせですが、栄養成長性の長い『黄金晴』と感光性の強い『コシヒカリ』の後代となることから、『黄金晴』よりより熟期の遅い普通期作に適した個体の出現が期待されました。 

人工交配が行われたのは6月、温湯除雄法により75粒を交配、内43粒が結実しました。

同年7月、温室内で休眠打破処理をした種子8粒を移植。同年11月に収穫。
昭和55年(1980年)3月、畑苗代を利用してF2世代1575粒を播種。同年7月に各穂から
3粒ずつ等粒採取し、1437粒(365g)収穫。
F3世代も同じく、同年8月に1,600粒播種、同年11月に881穂収穫。

昭和56年(1981年)、F3世代から収穫した881穂の中から2粒ずつ等粒採種しF4世代1,302個体を集団育成。稈の長い個体が目立ったため、稈長である程度の選抜を行い、263個体が残ります。

昭和57年(1982年)、F5世代は263系統(各系統10個体)を栽植。全個体を収穫の上、藤巻・櫛淵氏のビーカー炊飯米光沢試験に供試し、『コシヒカリ』並みの光沢を示す10系統と『コシヒカリ』に近い光沢を示す30系統の計40系統を選抜します。

昭和58年(1983年)、F6世代の系統選抜・固定を開始。
40系統の中から24系統を選抜し、ビーカー炊飯米光沢試験を実施。2年続けて光沢の良かった8系統に『み系445~452』の試験番号を付与します。(『み系451』が後の『ヒノヒカリ』)

昭和59年(1984年)、F7世代から生産力検定試験を開始。早生~中生の熟期で、この年は倒伏も発生せず、比較的止葉も立ち熟色も良好であったため、固定の不良であった1系統(『み系450』)を除いてすべて収穫します。
この中から、『み系445』『み系446』は耐倒伏性が「弱」である上、外観品質不良と言うこともあって、母本用素材に回されます。
残った5系統を食味官能試験に供試し、いずれも『コシヒカリ』並に粘りが強く、外観も優れていたことから、いよいよ『コシヒカリ』超えの期待が高まります。

昭和60年(1985年)、F8世代で生産力検定試験の二年目を迎え、一区面積を増やし、反復数を3に増やします。供試5系統の内『み系447』は長稈になったことから実用性が低いと判断され、圃場での以後の試験が中止されます。
残り4系統を収穫し総合的な検討が行われます。
内、『み系449』は『み系451(ヒノヒカリ)』と熟期はほぼ同等であり、草姿・耐倒伏性・収量・品質共に『み系451』に劣るため試験を中止します。
残る3系統を食味官能試験に供試、いずれも『コシヒカリ』並みの良食味とされましたが、特に『み系451』は『コシヒカリ』のもっともよい状態の飯米が示す深みのある光沢と全く同じと判断され、粘りも極強く、際立った特徴を示します。
北陸農業試験場の『コシヒカリ』との比較も行われ、良好な成績を収めます。

昭和61年(1986年)、F9世代において『み系451』は『南海102号』として関係各県に配布、地方適応性の確認を行います。
姉妹品種に当たる『み系448』『み系452』も同時に継続検討されますが、両者ともに食味が『コシヒカリ』並みかやや劣る上、『み系448』は品質が問題で昭和61年に、『み系452』は耐倒伏性が弱く昭和62年に試験を中止、交配母本として活用されることになります。 

九州各県で食味に劣る『碧風』や『コガネマサリ』、『ミナミニシキ』に代わる品種として、耐病性にやや難があるものの食味の良さから注目され高い評価を受けることになります。
平成元年(1989年)『水稲農林299号』として登録され、福岡県、佐賀県、熊本県、宮崎県、鹿児島県で奨励品種に採用されました。


『ヒノヒカリ』の選抜過程においては、良食味を目指すにあたって「炊飯米の光沢」および「粘り」に絞って、「香り」「硬さ」「甘み」等には特にこだわらず比較的緩い選抜をしたことが功を奏したと言われています。
”食味”というものが絶対的でない中、厳格な選抜をしていたら『ヒノヒカリ』と言う品種は生まれなかったかもしれません。



系譜図



南海102号『ヒノヒカリ』系譜図


参考文献(敬称略)

〇水稲新品種”ヒノヒカリ”について:宮崎県総合農業試験場研究報告
〇水稲新品種「ヒゴノハナ」「ヒノヒカリ」:八木忠之


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